ちゃんとキチンと

となりのADHDは、人と向き合う事を
避けるように理論武装してきた。
包括的な言葉を多用し、いわゆるキチンと
した人を演じる。
特に失敗した後は顕著だ。
気の使い所が違うんだな。
きっと、失敗を取り返そうと、
一生懸命なんだろうけど、
いかに立派な人に見えるのかに
重きを置いてるようだ。

いや。
立派な人は、そんな失敗しないよ。って失敗を
した後は特にそうなる。

でも、この人は、
誠意を間違って覚えているのかも知れない。
身を守るための包括的解釈が仇になってるのだろうな。

自分が立派であると見せることで、
反省の意を示そうとする。

人を殺した人が、遺族の前で
医者のフリをして謝意を示す感じ。

わたしの拙い執刀技術が災いして
このような事態を招き、申し訳ないって感じに
話し出す。


立場変わるし、
過去の過失の意味が変わるから、
遺族の怒髪天をつくのにな。

思いを伝える機能に問題があるとは
思えないし、
いわゆるアダルトチルドレンってやつなんだけど、

この人は、
精神年齢で言えば、9歳から12歳あたり。
役割を与えられず生きてきたんだよな。
処方箋は感謝を感じさせる事なんだよなぁ。

やれやれ。


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